清水國明の「自然樂校&森と湖の楽園」で自然暮らし | 山梨県南都留郡富士河口湖町

清水國明 執筆原稿

2007年10月号

『季刊 新そば』

蕎麦の食べ方って、いろいろ作法があるんですね。おいしく食べられたらそれでいい、とも思うのですが、「あら、あの人、あんな食べ方しているわ」と思われているのではないかと、冷や冷やしながら食べてもおいしくないです。結構人の目、気にするタイプ。一度、基本的なところだけはしっかり押さえておきたいなと思っています。きれいに正しく蕎麦を食べる人が身近にいないと、こういうことは身につきませんね。食文化、食の作法は日常の繰り返しで、体が覚えるものなのでしょう。外国から来た人が日本食を食べているときの箸の使い方。スプーンのようにすくって食べている様はさほど気にならず、ほほえましくもあるのですが、大人の日本人がグワシッと箸を握って、突き刺したりすくったりして食べ物を口に運んでいる光景に出会ったときには、ちょっと全身の力が抜けるような、嫌ぁーな気分に襲われてしまいましたね。

自分も決してきれいな食べ方をしている方ではなく、むしろ汚く、がさつな部類に属していると自覚はしていますが、そんな僕がショックを受けてしまうような、食文化、作法をまったく無視した食べ方をしている人たち。こんな人たちと食事に行くと、周りの人の動揺が申し訳なく、気になって疲れてしまうだろうな、と思います。いっそすべての人がむちゃくちゃな食べ方してくれたら、こんな小心な気遣いはしなくて済むのかも知れませんがね。

ところで、アウトドアを楽しむにも作法があります。自己責任(人のせいにしない)、自他自由(自分も他人も自由。人に迷惑をかけない)、自修自得(自分でたのしむ)という3つのルールです。これを守って後は勝手に楽しめばいいのですが、今は自分で自主的に遊ぶことが苦手な人が多くて、あれこれ指示され、サービスを受けなければ楽しめない人ばかりのような気がします。自然の中で楽しく生活する技術が、まったく伝承されていないと感じます。僕に自然を教えてくれたのは、近所のおじさんやお兄さん。そして祖父祖母でした。近頃は、自然遊びを教えてあげようと見知らぬ子どもに声をかけると、いきなり防犯ブザーを鳴らされてしまうような時代です。伝えることをあきらめたお年寄りたちは、自分の老後の楽しみだけを考えるようになるでしょう。

photo今の日本に必要なのは、自然の中で豊かに生活することが出来る知恵と技術、そしてそれを伝える人たちの存在です。流行のアウトドアやレクレーションというのは日ごろの疲れを自然の中で癒し、リフレッシュするためのものであって、それによって日本古来の生活文化が伝承されることはありません。自然の中で、自然とともに暮らしている人から受け継ぐ自然暮らしの知恵が、こどもたちの生きる力を育みます。歳を重ねたら、生きる知恵や力を子孫に伝える義務が生じてきます。自分が受け継いできたものを次にバトンタッチしないうちは、どんなに便利で快適な老後の生活を送っていても、安らげず、不満で不安な毎日を過ごすことになってしまうでしょう。いわば伝え残すことは老いて死を迎える準備をすることなのですね。いつまでも死の準備が出来ない老後なんて落ち着きません。 僕は今、富士山のふもとの森の中に引越し、伝えるための自然暮らしを始めました。ログハウスを建て、炭焼き窯をつくり、畑を耕しています。畑といっても小屋の前の斜面をザッと耕しただけ。もうじきそこに何種類もの野菜と花の種を、無差別にオリャーとばら撒く予定です。後はまったくほったらかしにするので、必然的に無農薬有機栽培になります。過酷な条件の中でたくましく芽を出してきた野菜と花だけを楽しもうと思っています。その中にもちろん、蕎麦の種も混ぜてばら撒くつもりでいます。

でも雑草畑化したところにポツポツ、あちこちに蕎麦が育ったら収穫が大変そう。苦労して集めた蕎麦の実を挽いて、たった一杯の新蕎麦にしてツルツルーッと。う、旨そー。