清水國明 執筆原稿
2007年12月号
『月刊釣りフアン』
河口湖にドカ雪が降り、家の前の急坂が上れなくなって、森の自然暮らしがいよいよ本格的に始まった気分です。


先日行われた結婚式のとき、なんでまたこんな山の上に、とふるさと福井からやってきた両親や親戚の人たちが自宅を見て、同情気味に言いました。テレビの芸能人のお宅拝見の豪華さを期待していたのに、いまや田舎でも珍しい山道の先の不便な丸太小屋暮らしだったからです。山の中から都会に出て、またこんな山の中に移り住むことはないのに、と呆れていました。まぁいろいろ事情がありまして、と答えるしかありませんでした。
家族とともに過ごしていた東京から、ひとり山梨の森の中へ入って、もう4年です。
今まで僕は、社会を構成する最小の単位である家族が良くならなければ、いい社会にはならない。だから家族のために一家の主には、なりふり構わず働いて自分の家族を幸せにする義務がある、と考えていました。
いざとなったら自分の家族さえ幸せにすればいい、という利己の心ですね。けれど、自分の家族だけは責任もって幸せにする、という利己が沢山集まれば、幸せな家族が増えて、結果幸せな社会が出現する、と思っていたのです。
でも考えてみると、自分たちさえ良ければいいという家族が沢山集まった社会というのは、どんなもんでしょう。
自分のことだけ考え始めた組織や個人は次第に萎縮してゆき、そしてやがて誰もいなくなる滅びの道しか残されていない、という鉄則に気づいていなかったようです。
自分たちだけが幸せになって楽しめればいい、と思い始めたかつての清水家に、不均衡を正す天の風が吹いて怒りの雷が落ち、解散命令が下されたのです。
2003年の秋、けじめをつけるために離婚届を出して、一人で富士山のふもとの森の中で暮らし始めました。
しばらくは自分のためだけ、自分の楽しみのためだけの自然暮らしを楽しんでいましたが、たちまち挫折。
人は一人で生きてゆけない、また一人で生きてゆくことは許されないのだと思い知らされました。
自分が一生懸命に取り組める、本当に好きなことに関わりながら、それが誰かの喜びにもなるようなことを探し求めた結果、「自然樂校」にたどり着いたのです。無我夢中の4年間でした。
先日、バラバラに暮らしていた子どもたちと何年かぶりに会えたとき、それぞれが多くの人に支えられて、元気に活躍している姿を見て、嬉しくて、有難くて、不覚にも涙。僕が思っていたような、自分の家族の幸せしか考えない人たちばかりの世の中だったら、子どもたちは荒野に取り残された子羊のように、たちまち猛獣の餌食になっていたでしょう。
赤の他人の子どもを育み、活かしてくれる人たちの「お陰」様で、自分の大きな過ち、家族を失うことになった本当の原因に気づかせてもらえました。
さて2008年は、いよいよ総仕上げの年にします。
自然暮らしの知恵を都会暮らしに活かして「心と体の丸ごと健康」をめざすのが「自然樂校」の取り組みです。
子どもと大人が一緒に集い楽しむ場所と機会を創出することで、子どもたちはたくましさと思いやりを、大人は生きがいと安らぎを得ることができます。自然の中でのびのびと楽しみ、心から笑うことで、かけがえのない心と体の健康が手に入ります。
2008年から、アウトドアパーク「森と湖の楽園」とエンターテイメントシアター「河口湖SHOW園」は、自然の力、笑いの力を活用して健康になるための総合施設、トータルヘルスケアセンターとして一歩前進します。
「森の劇場」の近くに移り住んで楽しい演劇、お芝居、お笑いを提供してくれる、力強い味方が揃いました。
大先輩の大村崑師匠はいまもオロナミンC飲んで、現役バリバリです。笑いの力で病気を治し、生きる力と健康を提供するこのプロジェクトに大賛成して、力強い協働を約束してくれました。漫才協会の会長、ゲロゲーロの青空球児師匠も協会挙げて賛成。自然と医療と笑いとエンターテイメントのコラボレーションが、明るく健康な未来を創造すると確信しています。
最新医療が充実したクリニックと快適な居住施設、そして劇場があり、その周囲の森には子どもたちの笑い声、若者の歓声が絶えない自然体験施設がある楽園の姿が、今、はっきり見えてきました。
最先端の緩和医療技術と、子どもや孫たちと豊かな時間を過ごすことができる安らぎの棲家を求めていた人たちが、この楽園に集まってくるでしょう。
限りある余命を宣言された小児がんの子どもたちが、家族や友達と過ごすことができる、日本初の自然体験施設を造りたい、というのがずっと僕らのモチベーションでした。後半人生のすべてを投入して取り組む「自然と健康と笑いの楽園建設」がいよいよ本格スタートする、2008年です。