清水國明 執筆原稿
2008年2月号
『月刊釣りフアン』
また雪がドカッと降った。中国のどこかで、大雪のせいで大きな被害が出ているとニュースで流れていたけど、人ごとではない。

今住んでいる河口湖でだって、人命に関わるような事故がこの雪によって起きるかもしれない。けれど河口湖町の中心地に住んでいる人たちにはさほどの影響はなくて、同じ町内であっても標高約1000メートルの森に住んでいる我が家にのみ迫っている危険である。きのうもまた水道が凍って水が出なかった。森の家まで水を上げるには水圧が足りなくて受水槽を付けているのだが、そのタンクのフローターが凍り付いていて水が補給されないのが原因だった。自宅までの長い距離、地面の中を走っている水道管が凍ったのかと思って青くなったけれど、一安心。今は少しずつ水を流し続けている。
職場である自然樂校までは、4〜500メートルぐらいだけど、一箇所、シャレにならんくらいの急坂になっていて、スタッドレスタイヤなのにすべりまくって上れない。
今日はまずその坂を下って出かけることになる。今日こそ立ち木にドカンを覚悟しなければならないかもしれない。
河口湖インターから中央高速に入って東京に向かい、上野原あたりまで来ると、どこにも雪がなくなって別世界。八王子、高井戸あたりでは河口湖バージョンの服装では暑くてたまらず、一枚ずつ、まるで昆虫が脱皮するかのように脱いで行くことになる。
車で一時間ぐらいなのに、どうしてこんなに環境が違うのか、不思議な気がする。なんでわざわざこんなところに住んでいるのか、真冬のいつもの自問自答。富士の裾野で迎える5回目の冬である。ひたすら、ひたすら春を楽しみに待つしかないことは、もうわかっている。雪のキャンドルを作ってみた。雪もまた楽しい。そしてもうひとつ。春待つ気持ちに拍車をかける、楽しい約束がある。先日、浅野大和が河口湖に訪ねてきてくれた。琵琶湖のブラックバス再放流禁止条例に反対する裁判で、一緒に戦った男。琵琶湖で今も釣りガイドの仕事をしているのだそうだ。話しはじめてすぐ、こりゃやばいな、寝てた子が起きるかも、という予感は見事に的中。話しているうちたまらなくなって、4月の後半、琵琶湖に釣りに行くことになったのだ。
自然樂校の一番のバス釣り好き、「カラ」と呼ばれているスタッフも連れて行くことにした。ホント何年ぶりだろう。今でも湖底のストラクチャーを特定する「山たて」は覚えているはず。ディープホールに行きたいなぁ。今は沈黙しているらしい大きな浚渫跡だけど、いくつもの楽しい、くやしい思い出があって忘れられない。ダメモトで行ってみたい。漁礁や取水搭もいい。南湖だけでなく北湖にも行けたら嬉しいなぁ。
「カラ」と二人で琵琶湖への釣行について話してると、寒さや雪を忘れることができる。ヤツはもう、琵琶湖の本を読んだりタックルを整理したり、イメージトレーニングしたり、を始めているらしい。僕もそろそろ納戸の奥にしまってあるGPSや山立て帳、ワームケースを引っ張り出さねばならんだろう。
楽しみはいつもすぐにやってきてすぐに去ってしまう。今のうちが一番楽しいのかも知れない。
春の日差しを受けて琵琶湖に浮かんでいたら、きっと嬉しくて泣いてしまうだろうなぁ。ファーストキャストで試してみたい新しい釣り方がひとつある。長いブランクの間、頭の中では何度も釣りに出かけていて、そこで編み出した新テクニック。まだ一度も試してはいない。オートバイにも長い間乗っていなくて、去年久しぶりの北海道ツーリングで突如新しいライディングテクニックに目覚めた。現役のロードレースライダーとして転戦していたときには、どうしてもできなかったこと、気付かなかったことが、ゆっくりツーリングしているときに気付いて、できるようになったのだ。はじめから限界のスピードばかりで走っていたから、ライディングの基本が見えなくなっていた。なぁ〜んだ、そうだったのかという単純なこと。悔しい。今なら無理せず、もっと良いタイムを出せる気がする。13箇所も骨折しなくてよかったのかもしれない。現役を離れて俯瞰しているからこそ見えてくるのだろう。バストーナメントでカリカリ釣りしていたから、釣りの基本を忘れて、成績ばかりが気になっていた。時間制限の中で一匹でも多く釣り上げなければ、というあせりで、こらえ性のない、せっかちな釣りになっていたと思う。トーナメントの応援に来てくれたダイヤフィッシングの崎ちゃんが、「早すぎる。ワームが底に着く前に、もう巻き上げている」と教えてくれたことがある。キャストした瞬間迷いが出て、このポイント、ワームじゃなかったのかも、と次の手を考えていたのだ。河口湖の森の暮らしで、ジタバタせずに冬を楽しみながら春を持つ忍耐と、ビジネスの世界で選択と集中の大切さを学んだ。この学びが琵琶湖での釣りにどう出るか、楽しみである。